谷川俊太郎さんの詩から学ぶ 効果的な書き方 (11) 飛躍のさせ方

その崖から私は転げ落ちるだろう
灌木の枝に縋るが枝は折れ
草を掴むが草は根こそぎ抜け
踏ん張ろうにも足は土をえぐるだけ
落下の衝撃に耐えようと体を丸めるが
私は落ちきらずにどこまでも
ずるずるごろごろ落ち続ける

詩集『ミライノコドモ』谷川俊太郎著p.26より

前半は、崖から落ちている時に体感する切迫した様子が書かていますが、後半になってくると、妙に冷静に、果てしなく落ち続けている状況を分析しはじめます。

最後までかろうじてギリギリ、「実際に崖から落ちている」という設定は壊されていませんが、これは暗喩に違いないと気づきます。

(暗喩・あんゆ:あるものAを言い表すのに、それと似た別のものBを使って暗にAを表現する方法。ちなみに「AはBのようだ」と、直接的に例えるのは直喩・ちょくゆ)

谷川さんの年齢は80歳を過ぎているので、「老いて体力や能力が落ちていく谷川さん自身のことを言っているのだろう」と、読者がすぐに気づくことを、想定の上で書いていると思われます。

直接的に老いて体力や能力が落ちていく状況を書かずに、崖から落ちている状況を書きながら暗示させることで、どのような効果があるのでしょう?

崖から落ちている状況に関連する言葉の中から、本来書こうとしている老いの話に使える言葉が見つかった時に、そのあまりの整合性に、書いている本人も騙されてしまうのではないでしょうか? 書き連ねていくうちに、次々と整合する部分が出てきて、これは真理を発見したのかもしれないという錯覚におちいるかもしれません。
そして読者も、「なるほどこれは真理に違いない」と確信してしまうのだと思います。

重力が地球を隅々まで支配している以上
落下地点は大気圏を逸脱しない

この部分を、老いの暗喩だということをふまえて、通常の言葉で言いかえてみると、次のようになると思います。

老いて体力や知力が「落ち続けている」うちに未知の新たな境地にたどり着けるかもしれない、とも思ったが、それは不可能だろう。なぜなら、重力が地球を隅々まで支配していて、大気圏の外に出るのは不可能なのだから。

こう書いてみると、「なぜなら」が成り立っていないことに気づきます。もともと、老いが崖からの落下のようだという例えは、谷川さんが勝ってに思いついたことです。落下する物が大気圏の外に出れないことは、老い続けているうちに新たな境地にたどり着けるかどうかということとは、何の関りもないことです。

a1=b1、a2=b2といった部分的な一致が見つかっていくうちに、A=Bであるという錯覚に筆者も読者も惹き込まれていくのだと思います。

そして最後には、「Bでb3が真理だということは、Aにおいてもa3は真理だと言える」というふうに飛躍していきます。その真理発見の魅惑に筆者も読者も惹き込まれていくのかもしれません。

政治のプロパガンダや商品の広告にこの手法を利用する場合は、自覚的に、陶酔しすぎないようにして使う必要があるでしょう。

しかし、フィクションの中で使う分には遠慮はいらないと思います。次々と合わせ鏡のように増殖していく真理にくらくらしながら、読者といっしょに飛躍した世界に入っていけたら、さぞ面白いでしょうね。