谷川俊太郎さんの詩から学ぶ 効果的な書き方 (13) ひらがなの不思議

はなびらはさわるとひんやりしめっている
いろがなかからしみだしてくるみたい
はなをのぞきこむとふかいたにのようだ
そのまんなかから けがはえている
うすきみわるいことをしゃべりだしそう
はなをみているとどうしていいかわからない
はなびらをくちにいれてかむと
かすかにすっぱくてあたまがからっぽになる

詩集『はだか』谷川俊太郎著pp.87-88より

子供が話しているような文体で書くと、どういう効果があるのでしょう?
また、ひらがなだけで書いたときと、漢字を使って時と、どういう違いがあるでしょう?

とりえあす、漢字に変換してみます。

花びらを触るとひんやり湿っている
色が中から染み出してくるみたい
花を覗き込むと深い谷のようだ
その真ん中から 毛が生えている
薄気味悪いことを喋り出しそう
花を見ているとどうして良いか分からない
花びらを口に入れて噛むと
微かにすっぱくて頭が空っぽになる

こうやって読んで見ると、子供が書いたようには見えません。若い女性が書いたように見えます。読んだ感じも、がらっと変わります。何も感じられない文章になってしまいました。原文を読んだ時の、ぞくぞくするようななまめかしさは、どこに行ってしまったのでしょう?

まったく不思議です。

「花」と書くと、国語辞典の中の「花」がまず頭に入って来るのかもしれません。それは面白くもなんともない説明がつけられた単語です。「花」から詩的な感動を受けとるためには、一文全部、もしくは文章全体を読んで、文脈を理解する必要があると思います。

しかし、「はな」の場合は、直接的に野に咲く「はな」そのものに飛んで行けるように感じます。読みながらリアルタイムで、「さわる」そして「ひんやりしめっている」のを体感できるように思います。

このように、子供といっしょに、むしろ子供自身となって、「はな」に魅了されていると、本当に「はなをみているとどうしていいかわからない」という気持ちになってしまいます。

「花を見ているとどうして良いか分からない」だと、単なる慣用句的な言い回しに聞こえます。
「まったく君のやることは理解に苦しむよ」のような。

だからと言って、なんでもかんでも平がなで書けば魅力的になるとも思えません。リアルタイムで「はな」そのものを見せた時に、その「はな」が魅力的なものでなくてはならないと思います。

物語や比喩やリズムといった言葉の力をかりなくても、そのもの自体が登場するだけで魅力的になっていなければなりません。

こう考えると、むしろハードルが高いのかもしれません。