文体練習

片根伊六(かたねいろく)による、詩、物語、小説、エッセイなどを掲載しています。

ちょうど心臓の真上に

            ボードレールの『悪の華』を

コートの内ポケットの中に ちょうど心臓の真上に 忍ばせた虚ろな男は あなたの すぐ近くに居るのかもしれません

横断歩道で あなたと一瞬 眼が合った あの男は 「通りすがりの女」である あなたに 「おお 私が愛したはずの君」と 心の中で 叫んでいるのかもしれません

あるいは その目の前の吊革の男が そうなのかもしれません あなたを「嘆かわしい犠牲者」に見立てて 禁断詩篇の一つ 『地獄に落ちた女たち』を 暗唱しているのかもしれません

そして あなたと手をつないでいる この男が そうだという可能性もありますね あなたの 首の無い 「動かなくなった肉体を意のままにして 限りない欲望をとげ」ようとしている のかもしれませんよ……

胸に右手をあてた この あまりにも完璧に普通である男は 悪の聖書に 忠誠を誓っているのかも しれません