文体練習

片根伊六(かたねいろく)による、詩、物語、小説、エッセイなどを掲載しています。

「新しい」と「面白い」について (詩)

            夜中に暖房をつけないで、起きている。

熱い麦茶を、義理の母からもらったコーヒーカップで飲んでいる。 焼き物で有名な町でつくられた、白い厚めのカップだ。

面白いものをいくつか見つけて、読んだり見たりすることができた。 面白いものを見つけると、少しだけ進歩か進化かしている気がする。 この積み重ねが、貯金されていって、 面白いものを作る能力がたまっていくのだと思っている。 だから、面白いものを見つけて読んだり見たりするのが好きだ。 面白いし、役にも立つし、一石二鳥だ。

ところで、「面白い」「新しい」というのは、個人的、直観的なものなので 人に説明するのが難しい。

トウキョウ・ナンバーワン・ソウルセットというグループの曲の中で 「根本的な新しさは無く、大胆なバリエーションにすぎない」 という歌詞があって、よく思い出す。

それから、昔、小室哲哉さんが、 「影響を受けたアーティストはいますか?」みたいな質問を された時に、 「たくさんのアーティストや、その他のものから、たくさんの影響を受けている。 たとえば、ある曲の1フレーズの中には、何人かからの影響が入っているし、 その次のフレーズには、違う何人かからの影響が入っていると思う。 秒単位で、いろんな人からの影響が入っている。 だから、誰からの影響とは言えないけれど、たくさんの人から影響を 受けている」(超訳) みないたことを言っていたのを覚えている。

例えば、まったく新しい言語を作ったとしたら、誰も理解できない。 まったく新しい単語、まったく新しい構文、まったく新しい慣用句。 そもそも単語とか構文とかの概念さえ革新するような、 まったく新しい言語。 作った人は楽しいかもしれないけれど、 面白いと思ってくれる人は、ほとんどいないだろう。 とてもマニアックな世界でしか流通しないので、お金にならないし だんだん、むなしくなっていくと思う。 賞かなんかくれれば別だけど。

学術論文のように証明しても意味がない。 「これまでの曲は、構造的に、このようになっていました。  それが年代によって、このような変化をとげてきました。  現代の曲は、すべてこのパターンに含まれています。  私は、これとはまったく違う、新しい構造で、曲を作りました。  それでは聴いて下さい・・・」  と言ったとして、実際に曲を聴いてみて、面白くなければがっかりだ。

〇を二つ、すこし重ねて書いて、それぞれの〇の中に 「面白い」「新しい」と書いてみる。(頭の中で) 「新しい」には含まれるが「面白い」には含まれないものは がっかりだ。 また、「面白い」には含まれるが「新しい」には含まれないものは 「大胆なバリエーションに過ぎない」といってバカにされてしまう。 やっぱり、真ん中の 「新しい」と「面白い」の両方に含まれるところが良いというのは 誰しも思うところだろう。

しかし、上記の新しい言語のところで説明したように、 「新しい」かつ「面白い」は原理的にあり得ないのではないか? 「新しい」ものは理解不可能でマニアックだし、 「面白い」ものは学術的には、大胆なバリエーションにすぎない。

完璧に「新しい」を100、完璧に「面白い」を100とすると、 100×100=10000点を目指すのは無理だろう。 下手をすると、100×0=0や、0×100=0になる危険性が高い。

それぞれの個性によって 20×85=1700点だったり 70×30=2100点を目指したり、 50×50=2500点でバランスがよかったり、いろいろするのだろう。