文体練習

片根伊六(かたねいろく)による、詩、物語、小説、エッセイなどを掲載しています。

不正した人について (詩)

            評論家に言わせれば、それは、

「根本的な新しさはなく、大胆なバリエーションにすぎない」 ということになるのだろうが、 いくつかの、「大胆なバリエーション」が織り重なった、 「細部に神を宿らせる」ことに成功している作品は 根本的に新しい感動を与えてくれるものだと、 あらためて思わされ、だいぶん気が紛れた。

性善説か、性悪説か、どっちだか分からないけど ある一人の不正に対処する時に、 僕は功利主義によって、自分の精神を防御した。

あんまり寛容すぎず、あんまり冷酷すぎもせず、 中庸的なところを本能的?に展開させて、 結果的に、いいふうに終わらせれたと思う。

人間は原始のころから、不平等な状況でストレスを感じるのもだと 教養テレビで見たことがある。 自分が不利な状況だけでなく、自分の方が有利な状況でも ストレスを感じるんだそうだ。

いい気になっちゃダメだ。 老子の翻訳家が言っていたように、勝った時も、謙虚でいなきゃ。

微量のアルコールでもつかまってニュースになる恐れがあるので 薄いものを2回に分けて飲んで、 自己(事故)言及的な自動筆記で適当なものを書いて、 あわよくば、「作品」になるかもしれないなどと 考えながら気を紛らわそう。

昨日の睡眠がたっぷりだから、まだ眠れそうにない。

「いい気になっちゃダメだ。」 というのは、爺ちゃんがやっていた宗教の影響だ。 「いいふうになりますように」とお祈りすると 逆の悪いふうになってしまうのだと、信じていた。

あえて、いい方を意識しないようにして、 かといって、悪い方になると諦めているわけでもなく、 その間をぬうような言い回しによって、 良い結果になるように、意識をコントロールして お祈りしていたのだと思う。

「なんみょうほうれんげきょう、なんみょうほうれんげきょう…」 と何回も何回も。

不正をした人からでさえ、いい人と思われたい。 でも、ちょろい人だとは思われたくない。 損もしたくない。

前日にたまたま、プロフェッショナルな小児科医のドキュメンタリーを 見たのも良かった。

十分に準備して、最悪の事態も想定して、ある程度 自信、勝算をもって臨むことができた。

そして、何事もなかったように、 (いつもよりじゃっかん饒舌だったかな) 夕ご飯を食べて、みんなで寝て、 後で起きて、ごそごそやっているのだった。

うまくいったのに、少し不安で、 気分をセーブした日々を4~5日すごして、 あらかた平和な日々に、はやくワープしたい。

なんだかんだあったが、やっぱり今日の題名は、ごまかさずに 「不正した人について」