<strong>せめて何かにさわりたいよ
いい細工の白木の箱か何かにね さわれたら撫でたいし もし撫でられたら次にはつかみたいよ つかめてもたたきつけるかもしれないが きみはどうなんだ きみの手の指はどうしてる 親指はまだ親指かい? ちゃんとウンコはふけてるかい 弱虫野郎め
詩集『続・谷川俊太郎詩集』谷川俊太郎著pp..71-72より
これは、「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」という詩の中から引用させてもらいました。 1~14まで番号がふられた段落に分かれていて、それぞれに誰宛てのものか書かれています。(書かれてないものもあります) この部分は、「飯島耕一に」とあります。谷川さんと同年代の著名な詩人ですね。
他の谷川さんの言葉とは異質な、乱暴で投げやりな感じになってます。 「弱虫野郎め」なんて言っていますが、こんなことを言っても許されるくらい、親しい間柄だと想像できます。 飯島さん宛てという設定がなかったら、こんな言葉は出てこなかったのかもしれません。
小田実さんという作家・政治運動家の人宛てには、政治に関連したことが書かれてあって、最後はこんなふうに終わります。
それから明日が来るんだ 歴史の中にすっぽりはまりこんで そのくせ歴史からはみ出してる明日が 謎めいた尊大さで
夜のうちにおはようと言っとこうか
『続・谷川俊太郎詩集』p.69より
暗示的な言い回しですが、小田実さんという人にとっては、ピタリと腑に落ちる表現なのかもしれません。 「夜のうちにおはようと言っとこうか」なんて、ちょっとキザな言い回しですが、不思議と嫌味な感じがしません。 二人のかっこいい大人が、このような知的な言い回しで、気兼ねなく自然に話しているのを想像すると、ちょっと憧れます。 もし新聞や雑誌の一般読者を想定していたら、このようなスノビッシュな表現は出てこなかったでしょう。 (スノビッシュ:上品ぶった。教養・知識などを鼻にかけた。)
「誰々へ」と書かなくても、誰か親しい人や、歴史上の人物などを手紙の宛名に想定して書くと、思ってもみなかった内容や文体が出てくるかもしれません。
後で宛名を消してもいいですし。