谷川俊太郎さんの詩から学ぶ 効果的な書き方 (12) 短いけど長大な物語

摘んでから兵士は
その花の名を知らぬことに気づいた
くににいる女への手紙にその花をはさみ
名を教えてほしいと書いた

返事が来た
誰もが知っているありふれた名だった
そのとき一発の弾丸が
兵士のこめかみを貫いた

詩集『魂のいちばんおいしいところ』谷川俊太郎著p.58より

 8行の短い詩ですが、読み終わると、とても長い物語を読んだ後のような、放心状態になりました。
 このような効果は、なぜ起こったのでしょう? この詩のどこに仕掛けがあるのでしょう?
 8行は、2行づつに分かれた4つのパートからなっていて、それぞれが起・承・転・結の役割を果たしているようです。
 1~2行目の「起」は、戦場で兵士が花を摘むという、とてもドラマチックな場面です。「摘んでから兵士は」という切れのある始まり方です。
 3~4行目の「承」で、戦場からの手紙に花をはさんで贈るというのも、ロマンチックです。「国」ではなく「くに」になっているのが細かい気配りだと思います。「国」だと、「国家」のイメージが出て、違った印象になりそうです。「ほしい」も「欲しい」より素朴な感じがして、やっぱり「ほしい」だなと思います。「女」への愛情が感じられます。
 5~6行目の「転」の前に1行空らんがあります。手紙を出してから返ってくるまでの時間が感じられます。「誰もが知っているありふれた名だった」ということで、ちょっとほのぼのします。「女」が面白がって笑っていたり、兵士が苦笑いしている情景が思い浮かびます。
 7~8行目の「結」は衝撃的です。展開のスピードが速すぎて、悲しいのか、美しいのか、恐いのか、痛いのか…感情が反応できなくて、「!?」という感じで、放心状態になってしまいます。
 しばらくして我に返って、「何が起こったのだろう?」と、もう一度読み返してみると、あらためて、一つ一つの場面が兵士と女の貴重な一コマ一コマだと感じられて、心に染みます。
 分かりやすい言葉で自然な流れで書かれているので、すらすら読めてしまいますが、起・承・転・結の4つの光景は、それぞれがもっと長い物語の中で象徴的な場面として使われるべきものだと思います。
 例えば「起」の兵士が花を摘む場面は、過酷な戦場の様子や、戦闘と戦闘の間のつかの間の静寂や、その中で咲く一輪の花の描写があって、最後に満をじして登場してもいいように思います。それを、惜しげもなく、出だしの一文として使っています。とても贅沢だと思います。
 この詩は、長大な物語のプロットとしても読めるのではないでしょうか?
 (プロット:ストーリーの要約。ストーリーの重要な出来事を箇条書きにして抜き出した、見取り図のようなもの。)
 だとしたら、このような詩を作るには、映画や小説とは逆の手順を踏めばいいのかもしれません。
(1)まずプロットを作る。
(2)その中から、物語の核となるような重要な場面だけを抽出する。
(3)その一つ一つの場面の描写から無駄な単語を削り、最小限の言葉だけを残す。
(4)その言葉を推敲して洗練させ、それ自体が作品となるまでにする。
(5)場面をつなげて、一つの完結した詩にする。
 映画や小説では、プロットにどんどん肉付けして、プロットとプロットをつなぐためのもっと小さなエピソードもどんどん入れて、長く長くなっていきますが、この詩を作る方法は、どんどん削って、純粋な核心だけを抽出する感じです。