谷川俊太郎さんの詩から学ぶ 効果的な書き方 (14) 隠喩(いんゆ)のたねを最後に明かす

そしてあなたは自分でも気づかずに
あなたの魂のいちばんおいしいところを
私にくれた

『魂のいちばんおいしいところ』p.91より

 引用させてもらった部分は、表題作「魂のいちばんおいしいところ」の最後のパートです。この最後のパートを読む前までは、この詩はりんごについて書かれたものだな、と思わされます。
 始めの部分は、「神様」や「大地」や「水」や「太陽」が素晴らしいりんごを育んでくれたという事が書かれています。それに続いて、そのりんごを「あなた」がくれたということが語られます。

 そして最後に、広告のコピーのように美しく、「あなたの魂のいちばんおいしいところを 私にくれた」という一文が出てきて、一気に、「あなた」が主役になります。
 「りんご」は「あなた」のことだったのだという事が明かさて、前半でつくられた素晴らしいりんごのイメージが、一気に「あなた」に注ぎ込まれます。
 最後に思いもかけない結末が出てきて、一本背負いがきれいに決まったような爽快感です。

 「あなた」と「りんご」は比喩の関係になっていますが、「あたたの魂は、りんごのいちばんおしいところのようだ」というふうに直喩になっていたら、どうなるのでしょう?
 最後の部分をこのよう書きかえてみると、説明的で、「りんご」のイメージがとってつけたように感じられます。始めに「りんご」が登場したことが、作為的に感じられます。

 そして、あらためてこの詩を読み返してみると、谷川さんの気持ちに実感がこもっているのが感じられます。
 「あの人にりんごをもらった時の、あの感動をどう表現したらいいのだろう? りんごが素晴らしくおいしかった。大地と水と太陽のめぐみ。そしてそれを育んだ神様からの贈り物だ。でもそれだけではない。そのりんごをくれた、あの人が素晴らしいのだ。りんごの素晴らしさと、あの人の魂の素晴らしさがぴったりなのだ。あのりんごを食べた時のおいしさは、あの人の魂のおいしさなのだ。それで、あんなにも感動したのだ……」といった発見の喜びが感じられます。

 佐藤信夫さんというレトリックの研究者の方の文章を引用させてもらって、隠喩についてもう少し考えてみたいと思います。

隠喩は類似性《に依存する》ものである以上、決定的に特異な、ほかに例のありえないよう意味の独創性は隠喩にとって矛盾しているのだ。隠喩を理解しうるということは、とりもなおさず、その同じ比喩がほかにもありうると感じることにひとしい。前代未聞でありうるものは、むしろ直喩である。『レトリック感覚』p.121

 「あなたの魂のいちばんおいしいところ」という前代未聞の意味の独自性を、説明的・作為的な直喩を使わずに表現することは、どのようにして可能になったのでしょうか?

 それは、文章の構成によって可能になったのだと思います。
 まず、「りんご」が素晴らしいということが始めに語られます。
 それから次に、「あなたの魂」の素晴らしさについて語られます。
 そして最後に、「あなたの魂」と「りんご」が隠喩で結び付けられます。
 このようなステップをふむことによって、「魂」と「りんご」という一般的な類似が無いものどうしの隠喩が可能になったのだと思います。

 隠喩で独創的な表現をしようとすると、理解不能な、読者を置いてけぼりにした、ひとりよがりな表現になりがちです。しかしこの「魂のいちばんおいしいところ」という詩は、曲が付けらえて合唱曲になるほど一般に普及しています。
 それを可能にしたのは、このような構成の功績だと思います。

隠喩は、直喩のように類似性を創作することはできない。が、隠れている類似性、埋もれている類似性を発掘することはできる。『レトリック感覚』p.139

 ……と、佐藤信夫さんは隠喩を定義しているが、構成を工夫することによって、隠喩で「類似性を創造する」ことが出来るのかもしれません。