僕の日常的な考えや行動を、筆者の人は、すべて好意的に書いてくれた。
欠点も、人間味のある愛嬌だと逆手にとって、包み隠さずさらけ出された。 僕が何をやっても、何もやらなくても、そこには何らかの意味があった。 こじつけだと言えばこじつけだが、筆者の力量によって、それは必然になった。 僕自身もそう信じてしまうほど。
彼は上から目線だったのだろうか? それにしては嫌な感じがしない。 かといって、尊敬や憧れというのでもない。 ドキュメンタリー映像の中で、身内や親友、恋人などについて語っている人の感じに似ている。 なるべく身内びいきしないように、冷静に客観的に、突き放したように話そうとするのだけれど、本心では愛情を持ってくれているのが分かる。
彼の言うように、僕は革命家だったのだろうか? 歴史上の人物たちと同じように、僕が革命家なのだとしたら……、革命家たちのことが、身近に感じられる。 歴史上の革命家たちも、僕らと同じ人間であって、いくつもの偶然が積み重なって、たまたま「革命家」になったのかもしれない。 革命家たちは、たまたまあるエントロピーの高い況の中にいて、たまたま着想し、たまたま影響力のある人に評価され、たまたま知力体力がそこそこ充実していて、たまたま、その能力を限界まで絞り出すことができたのだ。
彼が語ってくれた僕は、僕と同一人物とは思えない。事実関係はすべて合っているのだけれど、それが一群のまとまった文章になった時に、別のものにすり替わってしまったように思われる。