向上心の幸福論

 何か目標があって、それに向かって努力していくのは、いっけん良いように思えるが、ある程度歳をとってくると、必ずしも良いとは言えないと思うようになった。

 目標に向かっている時は、無理してハードワークをしがちだ。
 目標を達成するまでの我慢だと思って、最後の力をふりしぼってしまう。
 それがいけないと思う。

 目標を達成できなかった時に、挫折感で無気力になってしまう。
 頑張った後で、そのむくいがこれでは、人生の中の長い時間が、不幸感で占められてまう。

 目標を達成した場合も、すべて万々歳とはいかない。
 安心して、そこで成長がストップしてしまうと、やはり無気力になってしまう。
 過去の成果にすがって生きている状態は、それほど幸福とは言えないだろう。

 かといって、新たな目標を決めて、再び向上心全開でいくのも、どうかと思う。
 また無理してハードワークすることになり、これが際限なくくり返されるとすると、けっきょく、人生の中で幸福感が占める割合が少なくなってしまう。

 今の状態が完成形だと考えるようにしたい。
 目標に向かって向上心を持って日々ちょっとずつ進化している状態。
 この今の時間がベストの状態で、できれば死ぬまでこの状態を続けて行けたら、それ以上の幸せは無いのだ。

 目標がなかなか達成されないとしても、それはそれで問題無い。今の幸せな状態が続いていくだけだ。

 結果として達成できたとしたら、また新たな魅力的な目標を探すことになる。
 新しい目標を探す過程も、もちろん楽しい時間になるだろう。

 今が完成形なのだから、今が不幸であってはならない。未来のために、今を犠牲にしてはならない。
 目標のせいで今が不幸な状態だと感じるのなら、目標を修正する必要があるかもしれない。
 あるいは、まったく別のものに替えるべきなのかもしれない。

 時には、自分に対する期待値を下げるもの手かもしれない。
 子育てで、子供に期待しすぎるのは良くないと言われる。それと同じだ。
 親が子供を追い詰めるように、自分を自分で追いつめていないだろうか。
 もし不甲斐ない自分に日々いらいらしている時間が多いなら、ハードルを少し下げた方が良いかもしれない。

 結果として、それが最も効率よく成功できる方法だと信じたい。
 無理なく、適度に、「目標に向かって向上心を持って日々ちょっとずつ進化している状態」。
 そういう時間を、少しでも長く過ごすようにすること。
 それだけを考えていればいいのだ、と。