私も、「不死と至福と神性」をもくろむ人類の一員

 人類は、「飢餓と疫病と戦争」の問題を解決しつつあると、ハラリは言っている。そして、人類の次のターゲットは、「不死と至福と神性」だと予言する。

もし私たちが自分の体から死と苦痛を首尾よく追い出す力を得ることがあったなら、その力を使えばおそらく、私たちの体をほとんど意のままに作り変えたり、臓器や情動や知能を無数の形で操作したりできるだろう。ヘラクレスのような体力や、アフロディテのような官能性、アテナのような知恵をお金で買えるし、もしお望みとあれば、ディオニュソスのもののような陶酔も手に入れることだろう。これまでのところ、人間の力の増大は主に、外界の道具のアップグレードに頼ってきた。だが将来は、人の心と体のアップグレード、あるいは、道具との直接の一体感にもっと依存するようになるかもしれない。
 人間を神へとアップグレードするときに取りうる道は、次の三つのいずれかとなるだろう。生物工学、サイボーグ工学、非有機的な生き物を生み出す工学だ。『ホモ・デウス(上)』p.59

 SFめいて聞こえる。でも、「飢餓と疫病と戦争」が当たり前だった中世の人から見れば、今の私の生活はSF的だ。
 私の生活にも、言われてみれば、「不死と至福と神性」の兆候があるのかもしれない。

 特に体に不調がないのに、健康診断や歯科検診を受けに行く。そして、もし異常があったら、早期治療をしたいと思っている。食生活や運動など、健康によいと思われることは、出来たら取り入れたいと思っている。
 こういった傾向は、中世の人から見れば、「不死」を目指していると見えるかもしれない。

 不快な時間をなるべく減らしたいと思っている。空腹になったら、一刻も早く何か食べたい。退屈になると、テレビやスマホや本を見たい。気分がのらないと、コーヒーやコーラを飲んで集中力を高めるようとする。
 これは、「至福」への兆候と言えるのかもしれない。

 ペースメーカーや人工透析などに抵抗がない。自分がもし必要だと診断されたら、迷わずお願いするだろう。
 子供が生まれる時に、産婦人科で様々な検査を受けた。もし異常があると診断されていたら、それでも生んでほしいと言ったかどうか自信がない。不妊に悩んでいる時期がもう少し長引いていたら、人工授精などの方法も検討したかもしれない。
 命を操作できるという発想は「神性」と言えるかもしれない。

 中世の人たちから見たら私も、「不死と至福と神性」をもくろむ人類の一員と見なされることは間違いないだろう。