文体練習

片根伊六(かたねいろく)による、詩、物語、小説、エッセイなどを掲載しています。

「神に誓って言うけど」「ほんとに」「これは請け合ってもいい」「ほんとうの話、」「真面目な話、」

 何かを伝えて信じてもらおうとする時に、論理的に説明しようとする場合と、感情的に説明しようとする場合とがあると思う。両方まじっていて、どちらかの割合が多いということはあるにしても。
 僕は後者のやり方は嫌いだったんだけど、最近はそうでもなくなったかもしれないな。つまり感情にうったえて、雰囲気で相手を説得すしようとする言い回しも、それはそれで面白いんじゃないかと思えてきたんだな。
 例えば、こんな文章を読んでいて、なかなか魅力的だなと思うようになったんだ。歳のせいかな……。

「これには僕も参ったね。フィービーの奴! 神に誓って言うけど、きっと君の気に入るよ。ほんとにちっちゃな子供のときから頭がよかったね。まだほんとにちっちゃな子供のだった頃、僕とアリーとで、よく公園へ連れてったもんだ、特に日曜日にね。」
『ライ麦畑でつかまえて』サリンジャー(著)p.108

「これは請け合ってもいい。ぼくがこんなことを話しだしたのも、ほかの人にもこういう快楽があるものかどうか、それをしかと確かめたかったからである。説明しよう。」
『地下室の手記』ドストエフスキー(著)p.12

「ところが、そのぼくにしても、ほんとうの話、もしだれかに平手打ちをくわされるような羽目になったら、かえってそれを喜ぶかもしれぬぞ、といった気になったときも何度かはあったものなのだ。真面目な話、おそらくぼくは、そんなところにも一種独特の快楽を見つけだすにちがいない。」
『地下室の手記』ドストエフスキー(著)p.14

 自分の弱い面や欠点や、うじうじ優柔不断に考えている心の中の声やなんかを、相手にあけすけにさらすことによって、同情的な雰囲気にさせるのような傾向は苦手なままなんだけど、明るく前向きな方向で浮かれたように話している時は、こっちも楽しくなってしまう。
 「神に誓って言うけど」「ほんとに」「これは請け合ってもいい」「ほんとうの話、」「真面目な話、」などがちょくちょく出てくるのも気にならなくなったな。

 こういう話し方をする人と話をすることになると、おそらく、八割以上の時間は聞き役にまわることになるんだろうけど、それも話が少なくとも所どころは面白いものなら、苦痛ではないかもしれないと思えるようになったんだな。やっぱり歳をとったからかもね。