片根伊六 帳

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「今現在(今)」をとらえる試み

さっき、池で考えてた時の「今現在(過)」と、今、この道で感じている「今現在(今)」、それから、これから向かうコーヒー屋さんで感じることになる「今現在(未)」。


その違いについて、さっき何か思いついた気がしました。


「今現在(過)」はもう有りません。記憶の残像があるだけで、それも薄れていってます。

 

「今現在(未)」はまだありません。フィクションの中で、僕に似た、僕がカウンターに座って、今現在を感じています。

 

「今現在(今)」は有ります。今ここに、有ると実感できます。でも、刻一刻と、「今現在(過)」になって、新たな「今現在(今)」が生まれ続けています。そして「今現在(未)」に近づいています。やがて、「今現在(今)」が「今現在(未)」に重なって、一体になるでしょう。でも、それもすぐに「今現在(過)」にかわってしまいます。

 

「今現在(今)」は、僕といっしょに常にあって、僕のごくわずか前で生まれています。そして、僕を通りすぎて、すぐに「今現在(過)」になってしまいます。

 

僕は、「今現在(今)」の正体を見てやろうと思って、揺れる葉っぱを、凝視しています。

 

「今現在(今)」は、いまここに静止して、ずっと有るように見えます。

でも、理論上、目にもとまらぬ速さで、移動しているに違いありません。

「今現在(今)」が現れて、脳が認識するころには、五感はすでに次の「今現在(今)」を受信しています。

 

つまり脳は理論上「今現在(過)」しか認識できません。

 

僕は今きた道をふりかえって、ひどい挫折感とともに、降参しました。