文体練習

片根伊六(かたねいろく)による、詩、物語、小説、エッセイなどを掲載しています。

谷川俊太郎さんの詩から学ぶ 効果的な書き方 (1) リズム

 詩の多くは、文章の途中で改行をしています。改行には、どんな効果があるのでしょうか? 改行をなくして普通の文章にすると、詩ではなくなるのでしょうか? また、普通の文章に改行を入れていくと、詩になるのでしょうか?
 谷川俊太郎さんの詩を読んで考えてみたいと思います。

ぼくは自分にとてもデリケートな
手術をしなければならない
って歌ったのはベリマンでしたっけ自殺した
うろ覚えですが他の何もかもと同じように
『続・谷川俊太郎詩集』谷川俊太郎著p.74より

 改行や文節の順序が自由です。(文節:文を実際の言語として不自然でない程度に区切った最小の単位)
 それでいて、「谷川さんって、会ったことないけど、こういうしゃべり方するんだろうな」と感じられる、自然なリズムになっています。

 右の詩を、もし普通の文章(散文:さんぶん)で書いたらこんなふうになると思います。

 他の何もかもと同じようにうろ覚えですが、「ぼくは自分にとてもデリケートな手術をしなければならない」と歌っていたのは、自殺したベリマンでしたっけ?

 この散文を読むと、「さあ、知りません」と答えて終わりになってしまいそうです。あの詩がどうしてこんなに普通の文章になってしまうのだろう、と不思議に感じるほど大きく印象が違ってしまいます。

 詩では、「ぼくは自分にとてもデリケートな/手術をしなければならない」という言葉がいきなり飛び込んで来て、広告のキャッチコピーや歌詞のサビのように、注意を惹きます。そうして次の行で、べリマンという自殺した人が残した言葉だとわかって、ドキッとします。べリマンはどんな心境だったのだろうかと、興味を持ちます。
 その次の「うろ覚えですが他の何もかもと同じように」というところが、投げやりな感じで、危ういような、かっこいいような、普通でない精神状態のように感じます。
 谷川さんが自殺したべリマンに共感しているように感じます。

 この詩の後書きで、谷川さんは次のように書かれています。
一九七二年五月某夜に、なかば即興的に鉛筆書き、同六月二六日、パルコパロールにて音読。同八月、活字による記録及び大量頒布に同意。(p.75)

 思い浮かんだ印象をそのまま言葉に移そうとしたのか、しゃべるように手が勝手に書いていったのか……、いずれにしても、倒置法がどうのとか考えている暇はないようです。
 人それぞれ話す時の癖があるように、文章にも癖があるほうが魅力的だと思います。
 もちろん、このように即興で一発OKというのは、谷川さんだからできることだと思います。
 自分の文体が自然と出てくるようになるまでは、書いたのものを何度も読み直して、書き直して、自分にしっくりくるリズムに近づけていく必要があると思います。